他人を見下す若者たちの考察補完

 防衛機制(ディフェンス・メカニズム)
 では、防衛機制理論を用いて、仮想的有能感について考えてみよう。防衛機制理論が相応しいと感じたのが、防衛機制理論は個別に当て嵌めても全体に当て嵌めても、あまり差異なく使用できる考え方であるからである。では、速水氏のいう仮想的有能感が生じるいくつかの典型的な状況から、防衛機制理論を用いて考察してみよう。
 例えば、先生が他にもたくさんいるのに自分だけ注意して怒りが込み上げる、という状況について。具体的な状況を挙げよう。先生が授業中の時間に、たまたま近くでひそひそ話しをしていたOくんを叱った。しかしOくん以外にもたくさんひそひそ話をしている人がいる。そこでOくんは先生に言った。「先生、Mちゃんの方がもっと大きな声でしゃべっているじゃないですか」。
 まず、Oくんの情動として、授業という不快に対して、『逃避』という防衛機制があった。しゃべるということで、授業というわずらわしさから逃げようとしたわけである。そして、先生がOくんを当てる。その瞬間、『逃避』という手段で不快から逃げていたOくんの防衛機制の手段は崩された。そして、不快の対象は授業ではなく、目の前への先生へと切り替えられる。先生という強い不快に対して心的な負担は増大し、その負担を軽減するため別の防衛機制を発動させようとする。それは『合理化』と『投影』である。『合理化』によってまず、自分の置かれている状況がフェアなものではないと考える。何故なら、自分以外にもたくさんしゃべっている人は存在しているからである。そして、同時に『置き換え』により、自分の置かれている状況の不条理さを別の相手にも求めようとする。自分と同じなのにあいつだけが怒られていない、『置き換え』『取り入れ』という二つの防衛機制の間に、怒りの感情として感情が吐き出されるのである。つまるところ、これが精神の安定の仕方と考えていい。防衛機制という観点で分析すると、どのような防衛機制が育まれやすい環境かが理解できるのではないかということである。