科学史への問い3
しかし、それは理解するという観点においてはいささか困難な事象であるということは否めないであろう。
それは小学生に専門書を読めといっているのと同じことだ。
記憶は可能かもしれないがそれは機械的なものでしかない。
理解あっての記憶ではないのだ。
つまり、学問という概念を現実に使用するにあたり理解という、避けては通れない関門が存在しているということがいえる。
ここに学問的な事柄と現実的な事柄との衝突があるのだ。
教える側は必然として科や科学という概念を脳に叩きこまなければならないが、子どもたちはそうではない。
科学を学ぶといっても厳密なる科学を学んでいるわけでもない。
そう、教師というある種の枠内に収められた科学を学習しているのである。
つまり、子どもたちが学んでいるのでは科学ではなくて、教育学という選定機関を潜り抜けた科学なのである。
そしてそれは、科学ではなく理科なのである。