科学史への問い6
科学史という分野は教育的学問であるという所感を持つ。
本来、科学というのは一つの事実であり、科学という分野における絶対的な正解である。
しかし、その絶対的すぎる性格ゆえに、理解しなければいかない側がついていくことができないという、独走的な性質をも同時に孕んでいるのである。
ゆえに、理解させる、育てるということに重きをおいた教育という概念が、科学という分野の仲立ちをしている格好となっているのだ。
それが科学史であり、理解のための科学である。
当時の社会の成り立ちや、文化を理解することが理解のための科学にも繋がるのだろう。
いわば、正解の動機付けである。
科学的思考がもたらす唯一の答えにたどり着くために、その経緯を話す。
それは、一つの単語に包含されている、
その単語ができるまでの経緯に等しい。その経緯があって、初めて納得する。
納得という、理解する段階までに極めて必要とされる受動的でない学習ができるのではないだろうか。
物事の成り立ちを知るということは、最終的にこの宇宙の成り立ちを考えることに繋がる。
その経緯を知ることは、その理由を知ることに繋がる。
つまり、原初への疑問を呼び起こすというプロセスに沿った行動なのである。
だからこそ、科学史を知ることは、学問的な学問でないのかもしれない。
しかし、だからこそ、その学問を知るという行為に繋がるのであろう。