読書ログ

 論理は往々にして、単純なほど否定を困難にする性質を有している。

 例えば『私は神である』という論理は、『神は全能であり、私は全能である。ゆえに私は神である』という論理よりも遥かに単純であるのに、否定するのは困難である。限定される要素、つまり相対性を喪失する分、絶対性を以って眼前に表出される。複雑な論理に裏打ちされない単純なそのままの論理はえてして、圧倒的な性質を伴うのである。

 私の紹介する本、角川ホラー文庫刊、遠藤徹著『壊れた少女を拾ったので』もそんな圧力を持った世界観によって読者に迫ってくる。卵を立てろといわれて卵を潰すことで『卵を立たせる』という論理を実証したコロンブスのように、荒々しいまでの迫力を見せてくれる。まず読者は、客観的に見ると不自然としかいえない世界観に囚われることになる。しかして世界観を咀嚼しようとしていく内に、極めて理不尽な違和感を心に芽生えさせることになるのだ。即ち、読者自身が客観的であると信じて疑わなかった現実という世界も、単なる主観の一形態でしかないという疑念が。

 こうなってくるとわけがわからなくなる。何が客観的で、何が主観的であるかの境界が実にあやふやなものになる。強引に押し込まれる荒っぽくて見えてその実精緻なディテールでもって構成される世界観になす術もなく翻弄されるがままに。極めて、ナンセンスである。だがそこに、不安定が生む揺らぎの美を見出すことができる。

 それをどんな形で、どんな風にして味わうかは、読者に与えられた自由である。鵜呑みにするもよし、ゆっくり噛み砕こうとするもよし。読者がこの揺らぎをそれぞれに堪能すればいい。本作品は著者の二作品目の短編集の文庫版であるが、これ以上の情報を読者に与えるのは野暮というものだろう。

 私が咀嚼した前知識のない状態のまま、著者に紡ぎ出される世界観にただただ呑まれていく快感を是非とも味わってほしいものだ。そこに揺らぎの美を感じれば、私も同感であると言おう。