DNAと未来

4、情報化する臨床

さて、技術躍進に伴い、臨床で行なわれるべき実験も、DNAのデータによる、いわば机上の実験に様変わりするのではないだろうか。

DNAの最大の特徴として、DNAを人間が読み解くにあたり、それはコンピューター以外にはありえない。

穿った見方をすれば、DNAそのものが自身の姿見を見るためにコンピューターを開発させたといっても過言ではない。

つまり、DNAとコンピューターとは全く相性がよくなさそうに思えて実に相性が良かったりするのである。

1と0の狭間という表現はそういう意味では実に言い得て妙なのかもしれない。

事実、コンピューターという機器が存在するからこそ、DNAを読み解くことが可能になっているのだから。

逆に言い換えれば、DNAという存在はコンピューター的な要素を含んでいるとも言えるのではないか。

私たちはDNAだけで生きているわけではない、これは事実である。

だが、DNAがなくては生きてはいけない、これも事実である。

現在のDNAにおける技術躍進において、DNAという記号は確かに有用であり、コンピューターにとっても有用であるが、人間にとってそれがいいことなのかは決して判らない、という疑問を持つべきなのかもしれない。

私たちはコンピューターのためにDNAを解析しているわけではなく、一つの事実としてのDNAのあり方をもっと模索すべきなのであろう。

最後に、今回のトピックスは17歳という若さの女性のものであった。

新しい世代の担い手として、私たちはDNAをもっと知らねばならない。

情報化社会とDNAの台頭というのは決して無関係ではなく、むしろ必然のことなのだ。

DNAという情報を取り扱うために、私たちはコンピューターという存在への、より深い理解が必要となるだろう。