命と環境

「自然に生きる人間は、自然を破壊されることを忌避する。都市に生きる人間は都市を破壊されることを忌避する。だが忘れてはならないのは、都市は再生させるものであり、自然は再生するものであり、自然は人為によっては再生することはないものである。」

「枯死する風景」を読んで最も感じたのは、今我々が手に入れた便利さは何のためのものだったか、ということである。

 自然は母の象徴でもあり、残酷さの象徴でもあり、先天的に障害を持った人たちが生き残るのに適した環境とは言い難かった。

 その死んでいく命を拾い、救うために、我々は無意味といえる程の便利さを手に入れたはずである。便利さに溺死しかけている、自然のなかで生きていくべき僕を含む人類にはかける言葉もないが。

 自然と共生するというのは多文化と共生するというのに感覚的には似ている気がする。

 両方の侵犯はあり過ぎてはどちらかが壊れる、反発する、という点で。

 もっとも、最終的に人類にとって帰る場所は自然であるが、人類にとって文化は帰る場所が存在しないが。