病理と心理

「死は敗北か。病気から目を背けることは間違いなのか。癌を病気ではなく、寿命だと思う私は未だ、病院に対する態度を決めることはできない。」

 「社会医学」・「乳児をまもる」・「こころとからだ」・「施設から地域へ」・「老いと介護」・「死の受容」を一つで括るとすれば、病院と命ということだろう。

 病院と、我々心と身体を持つ人類は二心同体の関係にあるといえるだろう。理想を言えば一心同体であるべきだが、それは命と科学を決して一括りにできないのと一緒で絶対に相容れないものだろう。

 ここであえていうが、二者択一ではない葛藤が今の病院を動かす原動力になっているのかもしれない。

 結論を出すことは容易だが、懊悩し続けるのは意外と難しい。しかし、懊悩は停滞ではないと私は信じている。偏った倫理も正しいとされる倫理も、両者とも選ぶことは選ぶ過程を排除し、実行する以外は出来ない。選ぶことが出来ないからこそ、人類は最悪といえる科学へ没頭することはないのだろう。

 科学のための科学ではなく、命のための科学として、議論の段階で生命倫理に触れる問題は止めていてほしい。誰かが、禁忌を犯してまで誰かを救いたいと思う医者が現れるまで。

 「科学とは狂気を具現化した、人類が抱え込んだ最悪の罹患率を誇る難病かもしれない。この難病に対する唯一の抗体は、絶対主義の科学に惑わされない、果てのない議論しかないであろう。葛藤こそ人類がその身に宿す救世主なのである。

あとがき

 多文化共生の時代を迎える前に、多価値観共生の時代をしっかりと受け止めることの必要性を強く感じた。

 僕達は思っている以上に独善的で排他的な存在であることを許容されてしまっている気がする。