DNAと塩基

1、トピックスについて
 私が今回取り上げるトピックスは、「2000年3月13日、インテル・サイエンス・タレント・リサーチで優勝したビビアナ・リスカの行なった発明について」である。この一つのトピックスから、DNAと情報化社会について模索していくものとする。

「2000年3月13日、インテル・サイエンス・タレント・リサーチにおいて優勝したビビアナはDNAを用いて秘密の暗号を隠す方法をあみだしました。

 その方法は、まず簡単なコード表を使って『6月6日、ノルマンディー侵攻』のメッセージをDNAの塩基配列に置き換えます。塩基配列でできた暗号文の両側を二組の特別な塩基配列(ブライマー)ではさみます。さらに多数のランダムな配列をもつDNAの分子の中に、この暗号文を含むDNAの塩基配列をはさみこませたのです。

 ブライマーの塩基配列を知っていることが、多量の関係のないDNA分子の中から暗号文を含む塩基配列を探し出すかぎとなります。ブライマー分子がわかっていれば暗号文を含む塩基配列だけをポリメラーゼ連鎖反応法(PCR法)で増やすことができます。

 増えてきた塩基配列を生化学的な方法で読み取り、どの塩基がどの言葉に対応しているかがわかれば暗号を解読することができるというわけです」

(Newton 2000年7月7日発行 第20巻第7号 NEWTON SPECIAL 神の設計図DNA PART3 遺伝子革命がもたらす黄金時代へより引用)

DNAと論理

2、この事実に関する考察

上記で挙げた方法は、単純でありながらも複雑な遺伝子について、ひいてはDNAについての知識の前提なしには成立しえないものである。

事実、私も本講義を受けるまでは単にDNAを暗号に利用できるくらいのことしか理解が及ばなかったが、PCRによるDNA増幅反応の知識や、塩基配列における記号的な側面をある程度理解して、もう一度読み返してこの文章の意義を読み取ることが可能になった。

つまり、私がいいたいのはDNAの世界というのは、今現在においては判る人にしか理解が及べない領域であるということである。

このDNAの暗号が示唆しているのは、DNAという専門知識を、その特性においていくらでも生かすことができる技術が追い付いてきているということである。

また、今回提示した内容の最大の特徴は、コンピューターの世界である0の世界に、1というDNAを組み込んだ上に応用させるというバイオコンピューターの機能を持たせようとした点が最も興味深いと思われる。

この技術はDNAコンピューティングというものであり、0と1の二進法でしか現されないコンピューターの世界へDNAという要素を組み込むことによって、コンピューターにとっては複雑な暗号式や計算を理論上で簡単に行なうというものである。

つまり、これは0と1の狭間の世界にDNAという要素が到達したといっても過言ではないだろう。

いわば、これが生体コンピューターと呼ばれるものの、発展の過程であるのかもしれないのである。

DNAとセンサー

3、バイオセンサー技術

 例えば、個人バンクなどでは現在は指紋照合よりも、網膜照合の技術が取り入れられ始めている。

 これは生物感知器(バイオセンサー)の技術であり、今まではDNAはバイオセンサーによって読み取られる側だったのが、現在では変化しているのである。

 生物感知器でDNAを読み取るのではなく、DNAという記号の集合体を利用して、バイオセンサーにDNAを組み込む等、DNAテクノロジーと総称される技術の一端として。

 DNAにおける情報は非常にコンパクトかつ広大である。

 パソコンにおいては何バイトで表される情報も、DNAにおいては単一にして存在そのものが凝縮された情報となる。

 つまり、バイオチップなどの小型電子技術においてもDNAの情報性というのは注目を集め得るということが証明できる。

 DNAなどの生体分子や電子機器が融合した、ハイブリットな情報縮小技術へと到達できるということである。

 DNAを読み解くということは決して哲学的・科学的な価値だけがあるわけではなく、読み解かれた知識に基づいてその情報の配列を応用できるという特性を持っているのである。

 よくヒトゲノム解析は開けてはならないパンドラの箱に例えられるが、知識の巣窟であるのは間違いないのである。

 しかもそれは、人間が人間として持っていて当然の知識なのだ。

DNAと未来

4、情報化する臨床

さて、技術躍進に伴い、臨床で行なわれるべき実験も、DNAのデータによる、いわば机上の実験に様変わりするのではないだろうか。

DNAの最大の特徴として、DNAを人間が読み解くにあたり、それはコンピューター以外にはありえない。

穿った見方をすれば、DNAそのものが自身の姿見を見るためにコンピューターを開発させたといっても過言ではない。

つまり、DNAとコンピューターとは全く相性がよくなさそうに思えて実に相性が良かったりするのである。

1と0の狭間という表現はそういう意味では実に言い得て妙なのかもしれない。

事実、コンピューターという機器が存在するからこそ、DNAを読み解くことが可能になっているのだから。

逆に言い換えれば、DNAという存在はコンピューター的な要素を含んでいるとも言えるのではないか。

私たちはDNAだけで生きているわけではない、これは事実である。

だが、DNAがなくては生きてはいけない、これも事実である。

現在のDNAにおける技術躍進において、DNAという記号は確かに有用であり、コンピューターにとっても有用であるが、人間にとってそれがいいことなのかは決して判らない、という疑問を持つべきなのかもしれない。

私たちはコンピューターのためにDNAを解析しているわけではなく、一つの事実としてのDNAのあり方をもっと模索すべきなのであろう。

最後に、今回のトピックスは17歳という若さの女性のものであった。

新しい世代の担い手として、私たちはDNAをもっと知らねばならない。

情報化社会とDNAの台頭というのは決して無関係ではなく、むしろ必然のことなのだ。

DNAという情報を取り扱うために、私たちはコンピューターという存在への、より深い理解が必要となるだろう。